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東山魁夷館

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東山魁夷館コレクション展2024 第Ⅳ期

東山魁夷館

開催期間2024年11月14日(木)~ 2025年2月4日(火)

連作「白い馬の見える風景」のうち最大の作品《白馬の森》を中心に、同連作の習作を一挙に展示します。
また、冬の厳しい自然を描いた《霧氷の譜》、厳しい冬に耐える樅の若木を描いた《聖夜》などをご紹介します。

詳細

東山魁夷館について

東山魁夷(ひがしやま かいい)館は、長野県が日本画家・東山魁夷(1908-1999)から作品と関係図書の寄贈を受け、長野県信濃美術館に併設して建設され、 平成2年4月に開館しました。収蔵作品数は現在、970余点に及びます。
およそ2カ月に一度の割合で展示替えをし、「風景は心の鏡である」という東山芸術の世界をお楽しみいただいております。

東山魁夷館外観

東山魁夷館に寄せて

1F展示室(制作の部屋)

私が初めて信州へ旅したのは、今から64年前の大正15年夏のことでした。当時、東京美術学校日本画科の一年生だった私は、友人三人と木曽川沿いに天幕を背負って、10日間の徒歩旅行をし、御嶽へ登りました。横浜で生まれ神戸で少年期を過した私は、初めて接した山国の自然の厳しさに強い感動を受けると共に、そこに住む素朴な人々の心の温かさに触れることが出来たのです。

この旅行の二日めの夕方、麻生(あそう)村(現・岐阜県中津川市山口)に着き、山路にキャンプする場所を探しているうちに、大粒の雨が降ってきました。日はすっかり暮れて雨は益々烈しく、雷鳴が物凄くなってきました。路は滝のようになり、杉木立の下で雨宿りをしていると、バリバリと雷が頭上で容赦なく鳴り響きます。私達は仕方なく麻生へ引き返しました。

とある農家の戸を叩いて、わけを話しますと、老婆が気持よく迎え入れてくれました。土間でよいから泊めて下さいと言ったのですが、座敷へ通してお茶など出してくれました。お婆さんは息子と二人暮しで、息子さんのほうは祭りの笛の稽古で近所に出かけているとのことでした。話をしているうちに雷鳴も遠くなって雨も止みました。この辺には名所もないが公園が出来たからと言いながら、老婆は私たちを誘って外へ出ました。すると、思いがけなく美しい月夜になっていました。公園というのは近くの水力発電所のそばに少しばかりの桜の木が植わっているだけの、ごく簡素なものですが、お婆さんはまんざらでも無さそうな様子でした。

私もこの月明の静かな山峡の眺めは、全く都会の公園では味わえない素晴らしいものだと思いました。夜の大気は澄み切っていて、涼風が爽やかに吹き渡っていました。

この旅はその時は気付きませんでしたが、私に大きな影響を与えたものであることが、ずっと後になりわかったのです。それ以来、山国へよく旅をするようになり、信濃路の自然を描くことが多くなりました。そして、風景画家として一筋の道を歩いてきました。

いつの間にか私も年を重ね、子供がいませんので今の内に、自家所有の作品などの処置について、真剣に考えねばならない時期になりました。いろいろ考えました末に、私の作品を育ててくれた故郷とも言える長野県にお願いしたいと決心したのです。甚だ唐突なことのようですが、それは私の心の中で長い間に結ばれてきた信州の豊かな自然との強い絆が今日のような結果となったわけです。

長野県では私の身勝手な願いを快くお聞き届けになり、このように立派な館を建てて戴き、誠に御礼の申し上げようも無いことと、心から感謝している次第です。

平成2年4月記

東山魁夷

東山魁夷館の設計にあたって ~作品の「額縁」に~

中庭に面したラウンジ

東山画伯と建築家であった父(吉郎)とは親しく、そのため私も画伯の作品には興味を持ち、以前に展覧会の展示・構成のお手伝いをさせていただいたこともありました。このたび、東山画伯のご意向で美術館の設計を担当させていただき、大変光栄に思っております。美術館に展示される作品は、伝統的な日本画であると同時に、現代を代表する独創的な作風となっています。従って、この美術館の設計もいわゆる和風建築ではなく、現代の日本を表現するような建築を目標としました。

今回の設計で考えたことは、言うなれば展示作品の額縁になるような建築にするという方針です。額縁は絵よりも目立ちすぎて鑑賞の妨げになってはいけないし、絵を守る役目もある。「簡潔な意匠と十分な機能性」ということから発想しています。建物の壁には石を使ったらという話もありましたが、あまり重厚な材料は作品の特徴である繊細さと調和しません。ですから、軽快感を出すためにアルミ材を用いました。美術館はあまり重々しいと、権威的になって人を遠ざけてしまうものです。外部は善光寺に近い公園の中にあるため、その環境とも調和しなくてはなりません。外側を低い塀で囲い中庭と池を設けましたが、これは公園の領域から美術館を、空間として分けるためです。同時に公園に遊びに来た人も自由に池越しに美術館を眺めることが出来ますし、公共的な場所であることを意識して開放的な空間になっています。中庭に面したラウンジの天井には池の水に光が反射し、波紋を描きます。美術館の建築は、内部では展示物や人が空間をつくり、外部では自然、つまり光や風や緑が四季折々の表情を与えてくれることが重要だと私は思います。

静かな雰囲気の中で東山美術を見るために多くの皆さんに来ていただければと思っています。

平成2年4月記

谷口吉生

東山魁夷略歴

1908(明治41)年横浜に生まれ、3歳のとき神戸にうつる。東京美術学校日本画科を卒業。1933(昭和8)年ドイツに留学。日展に出品をつづけ、1947(昭和22)年特選受賞。1956(昭和31)年日本芸術院賞受章。1965(昭和40)年日本芸術院会員となる。44(1969)年文化勲章受章。皇居新宮殿壁画、唐招提寺御影堂障壁画等を制作。1995(平成7)年東山魁夷心の旅路館開館(岐阜県中津川市)。1999(平成11)年5月6日逝去。享年90歳。従三位勲一等瑞宝章を贈られる。長野市善光寺大本願花岡平霊園に葬られる。2005(平成17)年、香川県せとうち東山魁夷美術館、市川市東山魁夷記念館開館。

東山魁夷略年譜

明治41(1908)年
7月8日、東山浩介、くにの次男として横浜に生まれる。本名新吉。
明治44(1911)年
3歳
一家で神戸に転居。
大正10(1921)年
13歳
兵庫県立第二神戸中学校(現・兵庫高等学校)に入学。
大正15/昭和1(1926)年
18歳
東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学。夏、信州を旅し、山国の雄大な自然に強い感銘をうける。
昭和4(1929)年
21歳
10月、最初の展覧会出品作《山国の秋》が第10回帝展に入選。
昭和6(1931)年
23歳
3月、東京美術学校日本画科を卒業。引き続き研究科に進み、結城素明に師事して「魁夷」を雅号とする。この年、東京美術学校の同窓生と研究グループ「六篠社」を結成。また西洋美術研究のため、ドイツ留学の準備を始める。
昭和8(1933)年
25歳
東京美術学校研究科を修了。8月、渡欧の途につく。10月、ベルリンに到着。ベルリン大学外国人語学部でドイツ語を学ぶかたわら、足繁く美術館に通う。
昭和9(1934)年
26歳
3月、ヨーロッパ一周の旅行に出発。10月、第1回日独交換学生に選ばれ、以後2年間の留学費をドイツ政府から支給されることになる。11月、ベルリン大学哲学科美術史部に入学。
昭和10(1935)年
27歳
9月、父危篤の報に、なお1年を残す留学期間を断念して帰国。
昭和12(1937)年
29歳
結城素明・川崎小虎・青木大乗を同人に「大日美術院」が創立され、その第1回展から出品する。11月、初めての個展「東山魁夷滞欧スケッチ展」を神戸で開催。
昭和14(1939)年
31歳
4月、川崎小虎らを中心に結成された「日本画院」の第1回展に《冬日》を出品し、日本画院賞第一席を受賞。同展では1940年の《季節と高原》、41年の《自然と形象》で3年連続して第一席に輝いた。6月、第3回大日美術院展で《山三題》が大日美術院賞第二席を受賞、新設された院僚に推挙される。
昭和15(1940)年
32歳
4月、大阪毎日・東京日日新聞社主催日本画大展覧会に《山》《海》を出品、佳作賞を受賞する。11月、川崎小虎の長女すみと結婚。
昭和18(1943)年
35歳
3月、美術団体「国土会」の結成に参加。4月から5月にかけて中国を旅行。
昭和20(1945)年
37歳
7月、召集をうけて熊本の部隊に配属となる。8月、敗戦。12月、千葉県市川市に移って制作を再開する。
昭和22(1947)年
39歳
10月、第3回日展に《残照》を出品、特選を受賞する。この作品によって、以後、風景画家として立つことを決意する。
昭和25(1950)年
42歳
3月、1931年の東京美術学校卒業生有志による「六窓会」の結成に参加。7月、東京で「東山魁夷個展」を開催。10月、第6回日展に《道》を出品、好評を得る。
昭和29(1954)年
46歳
5月、第1回現代日本美術展に《晩照》を出品、佳作賞を受賞する。
昭和30(1955)年
47歳
4月、東京で「東山魁夷新作展」を開催。
昭和31(1956)年
48歳
5月、前年の第11回日展に出品した《光昏》によって日本芸術院賞を受賞する。9月、神戸で「東山魁夷個人展」を開催。
昭和34(1959)年
51歳
12月、東京で「東山魁夷『東京』展」を開催し、冬の東京に取材した連作を発表する。
昭和35(1960)年
52歳
4月、かねて宮内庁から依頼されていた東宮御所の壁画《日月四季図》が完成。
昭和36(1961)年
53歳
5月、初めての回顧展「東山魁夷自選展」を東京で開催。11月、皇居吹上御所の新築にあたり、かねて宮内庁から依頼をうけていた作品《萬緑新》を制作する。
昭和37(1962)年
54歳
4月から7月にかけて、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドをめぐる写生旅行をおこなう。
昭和38(1963)年
55歳
5月、東京で「東山魁夷北欧風景画展」を開催し、前年の北欧旅行の成果を発表する。11月、神戸で「東山魁夷代表作品展」を開催。
昭和40(1965)年
57歳
1月、日本芸術院会員に任命される。3月、日展理事に就任。
昭和41(1966)年
58歳
かねて宮内庁より依頼されていた新宮殿壁画制作のため、日本各地の海岸の写生と下図作成にほぼ一ヵ年をついやす。
昭和43(1968)年
60歳
11月、東京で「東山魁夷展-新宮殿壁画《朝明けの潮》下図/京洛四季-」を開催。
昭和44(1969)年
61歳
1月、《朝明けの潮》の制作および前年の「東山魁夷展」によって毎日芸術大賞を受賞。2月、大阪で同賞受賞記念「東山魁夷展」が開催される。4月より9月にかけて、夫妻でドイツ、オーストリアを旅行。11月、文化勲章を受章。あわせて文化功労者に選ばれる。
昭和46(1971)年
63歳
7月、かねて打診のあった奈良・唐招提寺御影堂障壁画の制作を受諾。11月より東京、大阪、名古屋、神戸、京都で「東山魁夷新作展」を開催し、ドイツ、オーストリアの古都を描く制作と「窓」の主題による連作スケッチを発表する。同じく11月より東京セントラル美術館、兵庫県立近代美術館で「東山魁夷展」を開催。
昭和47(1972)年
64歳
この一年を鑑真和上と唐招提寺の研究にあてる。奈良・大和路の自然と歴史、文化の探究につとめ、障壁画の構想を練った。
昭和48(1973)年
65歳
唐招提寺障壁画の準備のため、日本各地の山と海を取材する。11月より東京、神戸、名古屋で「東山魁夷『白い馬の見える風景』展」を開催し、幻想の白い馬を主題とする連作を発表する。
昭和49(1974)年
66歳
3月、日展理事長に就任(~1975年)。4月、岩手県民会館で「東山魁夷展」を開催。
昭和50(1975)年
67歳
エリザベス英女王の訪日にあたり、昭和天皇から贈られる作品《春の曙》を制作。5月、唐招提寺御影堂の第一期障壁画《山雲》《濤声》が完成、6月3日に奉納される。奉納の前後、東京、大阪、名古屋、神戸で「東山魁夷唐招提寺障壁画展」を開催。昭和天皇のアメリカ訪問に際し、フォード米大統領に贈られる作品《夏山白雲》を制作。
昭和51(1976)年
68歳
4月、日本文化界代表団の一員として中国を訪問。北京、西安、南京、揚州、上海を歴訪ののち、代表団一行と別れて太湖、桂林を写生する。8月、詩画集『コンコルド広場の椅子』の原画を制作。西ドイツ大統領から功労大十字勲章を贈られる。9月、熊本および石川県美術館で「東山魁夷展」を、また神戸で「東山魁夷五十年の歩み展」を開催。
昭和52(1977)年
69歳
2月、パリ日本大使館大使公邸のために《青い谷》を制作。4月、パリのプチ・パレ美術館で開催された「唐招提寺展」に障壁画《山雲》《濤声》が展示されたのにともなって訪仏。5月、東京で「東山魁夷展」を開催。8月、中国対外友好協会の招きで再び訪中。新疆ウイグル自治区の古代遺跡を写生する。
昭和53(1978)年
70歳
3月、千葉県立美術館で「東山魁夷展」を開催。5月、北京と瀋陽で「日本東山魁夷《夷画展覧》が開催されたのにともない三たび訪中。洛陽、南京、揚州を歴訪後、黄山に登り写生をおこなう。11月、パリで詩画集『コンコルド広場の椅子』原画展が開催され、シラク・パリ市長から金牌を贈られる。
昭和54(1979)年
71歳
三ヵ年にわたる中国での水墨スケッチをもとに第二期唐招提寺障壁画の構想をまとめる。6月に試作が完成し、本制作にとりかかる。4月、東ドイツのベルリン、ライプツィヒで「東山魁夷展」が開催されたのにともない訪独。11月、広島、岡山で「東山魁夷近業展」を開催。
昭和55(1980)年
72歳
2月、第二期障壁画《黄山暁雲》《揚州薫風》《桂林月宵》が完成。東京、名古屋、大阪で「東山魁夷第二期唐招提寺障壁画展」が開催される。6月、障壁画を唐招提寺に奉納。7月、ドイツ、オーストリアを旅行。
昭和56(1981)年
73歳
1月より福岡、下関、鳥取で「東山魁夷唐招提寺への道展」を開催。3月、神戸で「東山魁夷・東と西を結ぶ展」を開催。8月、東京国立近代美術館で「東山魁夷展」を開催。11月、唐招提寺鑑真和上像厨子絵《瑞光》を奉納する。
昭和57(1982)年
74歳
1月、新潟で「東山魁夷唐招提寺への道展」を開催。3月、東京で「東山魁夷唐招提寺全障壁画展」を開催し、第一・二期障壁画と厨子絵《瑞光》がはじめて一堂に展示される。4月、国立国際美術館で「東山魁夷展」を開催。6月、パリで「白い馬の見える風景」展を開催。7月、佐野美術館で「東山魁夷展―山河遍歴―」を、また11月には神戸市立博物館で「東山魁夷・中国の旅展」を開催。
昭和58(1983)年
75歳
4月より大阪、名古屋で「東山魁夷『樹々は語る』展」を開催。5月より西ドイツのミュンヘン、デュッセルドルフ、ブレーメンで「東山魁夷展」が開催されたのにともない、3回にわたって渡欧。
昭和59(1984)年
76歳
4月、日展顧問に就任。6月、西ドイツのプール・ル・メリット学術・芸術院の外国人会員に選任され、翌85年6月、ボン大学にて徽章を受ける。7月、清春白樺美術館で「東山魁夷展―三つのシリーズ―」を、11月には長野県県民文化会館で「山河遍歴・東山魁夷展」を開催。
昭和61(1986)年
78歳
6月、日本芸術院第一部長に選任される(~1989年)。7月、北澤美術館で「東山魁夷展―風景遍歴―」を開催。
昭和62(1987)年
79歳
8月、家蔵の自作を一括して長野県に寄贈することが決定。学生時代から写生旅行を重ね、自ら「私の作品を育ててくれた故郷」とよぶ信州へ、という希望によるもの。9月、本制作、習作・スケッチ、下図等500余点の寄贈作品目録を贈呈。
昭和63(1988)年
80歳
5月より京都市美術館、名古屋市美術館、兵庫県立近代美術館で「東山魁夷展」を開催。11月、市川市文化会館で「東山魁夷展―唐招提寺への道―」を開催。
昭和64/平成1(1989)年
81歳
2月よりベルリン、ハンブルク、ウィーンで「東山魁夷展」が開催されたのにともない、3回にわたって渡欧。6月、オーストリア造形芸術家協会、ウィーン・キュンストラーハウス名誉会員に推挙され、また西ドイツ・バイエルン州功労勲章を受章する。8月、東京で「ベルリン・ハンブルク・ウィーン巡回展帰国記念東山魁夷展」を開催。
平成2(1990)年
82歳
1月、宮内庁から今上天皇の即位にともなう大嘗祭で皇居豊明殿を飾る《悠紀地方屏風絵(悠紀地方風俗歌屏風)》の制作を依頼される。この作品は同年9月に完成し、11月の大嘗祭大饗の儀で披露された。4月、長野県信濃美術館に併設して東山魁夷館が開館。開館記念「東山魁夷展―寄贈作品による画業の歩み―」が開催される。
平成3(1991)年
83歳
9月より神戸、京都、東京で「東山魁夷『わが旅の道』展」を開催。
平成4(1992)年
84歳
11月、ユネスコ芸術賞の創設に対する貢献により、ユネスコ・ピカソ金メダルを贈られる。
平成5(1993)年
85歳
4月、名古屋で「東山魁夷雪月花展」を開催。9月より北海道立近代美術館、松坂屋美術館、姫路市立美術館で「東山魁夷青の世界展」を開催。
平成6(1994)年
86歳
7月、東山魁夷館設立の契機となった長野県への自作の寄贈に対して、信濃毎日新聞社から第1回信毎賞を贈られる。10月、長野県信濃美術館・東山魁夷館で開館5周年記念「東山魁夷信州を描く」展を開催。11月、市川市に東山魁夷アートギャラリーが開館し、版画、複製画等を常設展示する。
平成7(1995)年
87歳
7月より東京、京都および長野県信濃美術館で「米寿記念東山魁夷展」を開催。8月、長野県山口村(現・岐阜県中津川市)に東山魁夷心の旅路館が開館し、前年に村へ寄贈した版画、複製画等を常設展示する。
平成8(1996)年
88歳
2月、長野県内の高等学校全106校に、近年刊行した画集・展覧会図録を贈呈する。3月、長野県伊那文化会館で「東山魁夷の版画世界」展を開催。
平成9(1997)年
89歳
3月より神戸、福岡で「東山魁夷『私の森』展」を開催。9月、長野県伊那文化会館で「東山魁夷展-創作の軌跡-」を開催。
平成10(1998)年
90歳
1月、長野県信濃美術館・東山魁夷館で長野オリンピック文化・芸術祭参加/長野パラリンピック文化プログラム「人と自然、そして祈りin Japan」展が開催され、三部構成のうち第Ⅱ部が「東山魁夷・自然との対話」にあてられる。2月、清春白樺美術館で「東山魁夷青春の滞欧スケッチ1933-35」展を開催。5月より富山県立近代美術館、千葉市美術館で「東山魁夷展」を開催。
平成11(1999)年
5月6日、老衰のため逝去。従三位、勲一等瑞宝章を贈られる。7月より岡山県立美術館、茨城県近代美術館で「東山魁夷展-永遠の祈り-」を、また11月にはパリで「東山魁夷展」を開催。
平成12(2000)年
1月より福岡、東京、名古屋で「パリ展帰国記念東山魁夷展」を開催。4月、長野県信濃美術館で東山魁夷館開館10周年記念展「東山魁夷の世界」を開催。
平成16(2004)年
1月より横浜美術館、兵庫県立美術館で、「東山魁夷展-ひとすじの道」を開催。
平成17(2005)年
4月より長野県信濃美術館・東山魁夷館(両館)で東山魁夷館開館15周年記念展「東山魁夷の世界-創作の軌跡と同時代の人々」を開催。
平成20(2008)年
3月より東京国立近代美術館、7月より長野県信濃美術館・東山魁夷館(両館)で「生誕100年 東山魁夷展」を開催。
平成22(2010)年
7月より長野県信濃美術館(小展示室)と東山魁夷館で東山魁夷館開館20周年記念展「Ⅰ白い馬の見える風景」「Ⅱ信州讃歌」を開催。
平成24(2012)年
7月より北海道立近代美術館、9月より宮城県美術館で「東山魁夷展」を開催。
平成26(2015)年
7月より長野県信濃美術館 東山魁夷館で「東山魁夷館25周年記念 日展三山‐東山魁夷、杉山寧、髙山辰雄‐」を開催。
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